入園当初は5人だった女の子が、今や11人に!!
男の子は12人になって、何とも男女の比率もちょうど良くなってきました。
考えてみたら、私たちも1年前の9月にNYに赴任してきました。
駐在の方々の赴任の時期なのでしょうね。
赴任期間は、平均して2〜3年が多いです。
その他には研究でいらっしゃる方や、コーチングでいらっしゃる方が1年〜2年くらいの滞在。
そう、、出会いもあれば別れもある、入れ替わりの多い時期なのです。
とうとう、別れの辛い時期がきてしましました。。。
1年前、赴任して来て3日後には夫は会社に行き、
私と娘で右も左もわからない2人� ��の時間、
英語が話せない私たちは(?!)買い物行くにも一大事。
台所のオーブンや、レンジ、洗濯機の使い方にあたふたし。
(こちらは摂氏ではなく、華氏表記。425度のオーブンって何??とわからないことばかり。)
前回ブログで話した通り、親も兄弟も、友達も誰一人いず、
まさに母親である私は娘を守る立場。
snowyowlsは何をしたいか
頼りたくとも、夫は仕事柄1秒を争う仕事なので、電話を気軽にかけられません。
自分で何とかしなければなりません。
って、大げさですけど、晩ご飯の支度やら、洗濯を何とかしなくてはっていう次元なんですけどね(笑)
そして、約一ヶ月で短期アパートから現在のアパートへの引っ越し。
約75箱の段ボールを黙々と片付ける日々。
約1ヶ月半は娘と二人だけの毎日を過ごしていました。
そんな時、娘が爆発しました。。。
「しゃみしいよー!!」と床に突っ伏して泣いたのです。。
これには参りました。この子にはお友達が必要だと。
片付けも止めて、近くにある本屋へ行き、
そこで娘と同じような年の女の子の� �子さまKちゃん、日本人のお母さんYママさんと出会いました。
「やった!日本語だ!!話しかけるしかない!」
と意を決してナンパ(笑)
話すと、何と娘とお誕生日が1日違い!!
住んでいるところもご近所!!
そして同じく最近NYに来たばかり!
運命を感じ、半ば強引に連絡先交換(笑)。
蛾を識別する方法
それからは、YママさんとKちゃんのお友達を紹介してもらったり、
日本の食材を手に入れる場所を教えてもらったり、
寂しかったNY生活がとたんに明るく楽しい生活に変わりました。
人との出会いって、本当に不思議ですね。
もし、娘があの時大泣きせず、私も外に出てあの本屋に、あの時間に行かなければ、
YママさんとKちゃんには出会えなかったのですから。
1年間、本当にいろんなところに一緒に遊びに行きました。
セントラルパークや↓
チェルシーピア Chelsea Pier でのボーリング↓(11ave 17st〜22st)
子供も出来るように、台を乗せてボールを転がせます。ガーターなし!!
これには娘も大興奮でした!
合同のお誕生日会↓
すごい高さのケーキだったなあ。
マンハッタン子供博物館や Children's Museum of Manhattan ↓
他にも、映画館や、それぞれの家に行って遊んだっけな。。
9月には日本に帰国が決まって、仲良し4人組で送別会↓
「はなれても、わたちたちのゆうじょうは えいえんよね。」
とでも言っていそうな、固く握られた手が。
hhow多くの哺乳類はそこに
前回のブログの運動会の次の日に、最後のYママさん&Kちゃんと一緒にお茶をし、
その日も38度の熱が出ていましたが、
どうしても最後に一目でも会いたく、
Yままさん&kちゃんには、迷惑千万ながら!?
午後に病院の予約を入れたので、その前に会ってお別れとなりました。
最後だというのに、結局病院の予約時間に遅れそうになったため、
急いでタクシーを拾って、「じゃあ、元気でねー!!」
なんてあっけなくお別れしてしまい、なんだか娘もお別れの意味がわからないまま、
お二人は日本に帰っていってしまいました。。。。
その後すぐに夫の両親が来米して、慌ただしく過ごしたため、
メールで「� �本に着きました。」
との連絡が来たにもかかわらず、未だに二人がNYにいないなんて信じられません。
娘も
「Kちゃんにあいたいねー。」
と時折寂しそうに言っています。
こちらに住んでいると、避けられない人との出会いと別れの繰り返しですが、
ここで出会った人たちと
これから先もずっと続けていられる、
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